ル・コルビュジエの世界遺産建築をご紹介

世界7ヵ国・17作品のコルビュジエ建築が世界文化遺産として登録されました。

近代建築の巨匠ル・コルビュジエ Le Corbusier (1887-1965、本名シャルル=エドワール・ジャンヌレ=グリ)は、スイス生まれで主にフランスで活動した建築家です。
世界遺産登録された17作品のうち、スイス(2作品)とフランス(10作品)の建築をご紹介します。

スイスの作品

コルビュジエの生まれたスイスでは彼の初期作品を見ることができます。
東フランスやリヨンと組み合わせた旅程がお勧めです。

レマン湖畔の小さな家 <ヴヴェイ> 1923年


レマン湖畔の休暇小屋コルビュジエの両親のための家
36歳の頃の作品で、両親の為の住居としては2軒目の作品です。(1軒目はコルビュジエ25歳の1912年にラ・ショー・ド・フォンに建てたジャンヌレ=ペレ邸ですが、金銭問題により竣工後数年で手放しています。)
約60㎡のコンパクトな空間に、つくり付けの家具や可動式のパーテーションなど機能的な仕掛けが沢山あり、老齢の両親が快適に暮らせるような工夫と愛情がいっぱいの住宅です。全長11mの横長の窓からはレマン湖やアルプス山脈の美しい絶景が望めます。
父ジョルジュはこの家に2年ほど暮らして亡くなりましたが、母マリーは100歳の長寿を全うするまでの35年以上この家で暮らし、コルビュジエと兄アルベールは頻繁にこの家を訪れました。兄アルベールのための住宅”ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸”とほぼ同時期の作品です。
●見学:夏期のみ一般公開しています。
●アドレス:21, Route de Lavaux 1802 Corseaux - Suisse

イムーブル・クラルテ <ジュネーヴ> 1930~32年


イムーブル・クラルテコルビュジエが最初に手がけたアパート
後の集合住宅や都市計画へもつながっていくスチール・フレームとガラスが巧みに使われた建物。室内には動する仕切り壁やつくりつけの家具などを備えています。ガラス張りの南側には、日よけのブラインドが設置されていました。後にル・コルビュジエが「ブリーズ・ソレイユ(太陽を砕くもの)」と名付けた、建築に組み込まれた日よけ設備の原点でもあったといわれています。
コルビュジエの建築に暮らすことに誇りをもっている住民が多く、それぞれのこだわりを持って住居やオフィスなどとして使われています。
●一般住宅なので、外観しか見学できません。
●アドレス:2-4, rue Saint-Laurent Genève

<コルビュジエの生まれ故郷、世界遺産の町ラ・ショー・ド・フォン>


ラ・ショー・ド・フォンコルビュジエが生まれたラ・ショー・ド・フォンは、フランス国境に程近いジュラ山脈の麓の小さな町で、スイス高級時計産業の生産地です。19世紀の大火の後、都市計画により町は碁盤の目状に整備され、後に「時計製造業の都市計画」として隣町ル・ロクルと共に世界遺産に登録されました。コルビュジエ建築群としては世界遺産登録されていませんが、コルビュジエ修行時代の初期建築が今でも遺されています。
●ファレ邸(1905-07年)・・・コルビュジエ処女作。恩師レプラトニエの勧めにより建築家の協力を得て完成させた山小屋風住宅。近くには同じく山小屋風のストッツァー邸とジャクメ邸(ともに1907年)があり、すべて外観のみ見学できます。
 アドレス:1, chemin de Pouillerel 2300 La Chaux-de-Fonds
●ジャンヌレ=ペレ邸(1912年)・・・両親のために作った家で、通称メゾン・ブランシュ(白い家)。ジャンヌレは父方の姓で、ペレは母方の姓です。金銭トラブルにより両親が手放した後は、さまざまな人々が住みましたが、現在では両親が住んでいた当時の状態に再現され、コルビュジエ資料館として一般公開されています。
 アドレス:12, chemin de Pouillerel Case postale 2329  2302 La Chaux-de-Fonds 
●シュウォブ邸(1916-17年)・・・故郷での最後の住宅作品。大きな窓や吹き抜けなど、後のコルビュジエ建築への萌芽が見られる作品。現在は高級時計メーカーEbel社が所有しており、毎月2回一般公開しています。
 アドレス:167, rue du Doubs 2300 La Chaux-de-Fonds



 

パリとその近郊の建築作品

コルビュジエ30代後半~40代後半までの初期作品たちです。
代表作サヴォワ邸は必見!コルビュジエが長年パリには

ラ・ロッシュ = ジャンヌレ邸 <パリ16区>  1923~25年


ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸コルビュジエのお兄さん一家と友人のための二世帯住宅
コルビュジエが30代後半の頃の初期作品で、パリの高級住宅街16区に建てられた2世帯住宅です。内部は銀行家で美術収集家であった支援者、独身ロッシュ氏の家と、コルビュジエの実兄で音楽家のアルベール・ジャンヌレ夫妻の家に分かれています。(お気づきかもしれませんが、”ジャンヌレ”というのはコルビュジエのファミリー・ネームです。)小さいながらも5原則が全て体現された初期作品です。 
●見学:ロッシュ邸は見学可能で、ジャンヌレ邸はル・コルビュジェ財団の本部となっておりこちらは見学はできません。
●アドレス:8-10, square du Docteur Blanche 75016 Paris
 

サヴォワ邸と庭師小屋  <パリ郊外> 1928~31年


サヴォワ邸”5原則”が完璧に体現された、建築の教科書に必ず出てくる名作
コルビュジエ40代前半の頃の作品で、彼の一番の代表作。パリで保険会社を経営していた資産家サヴォワ氏一家(3人家族)の週末の別荘としてパリ郊外に建てられました。
コルビュジエは有名な「新しい建築の5つの要点(近代建築の5原則)」を1926年に発表し、すでに他の建築でもそれを実現していましたが、この広大な敷地のサヴォワ邸では最も洗練された形でこれらの要素を見事に実現しました。
戦時中には倉庫として使われ破壊もされてしまいましたが、コルビュジエ自身も修復の為尽力し、20世紀を代表する住宅建築としてフランス国立モニュメントセンターより文化財指定を受けました。
その人気はLEGOアーキテクチャーにもなっているほど。
●見学:通年、一般公開されています。
●アドレス:82, chemin de Villiers 78300 Poissy

ポルト・モリトーの集合住宅 (ナンジュセール・エ・コリ通りのアパート) 
<パリ16区> 1931~34年


・ナンジュセール・エ・コリ通りのアパートコルビュジエ夫妻が約30年暮らした、快適な集合住宅
コルビュジエが40代半ばの頃の作品で、全面ガラス張りの集合住宅です。この建物の最上階と屋上の2フロアをコルビュジエ夫婦が住居兼アトリエとして占有し、生涯の住居として約30年暮らしました。(現在はル・コルビュジエ財団の管理によって土曜日のみ公開されています。)
場所はパリ16区とブローニュ=ビヤンクール市の境に位置しており、現在はPSGの本拠地となっているスタジアム「パルク・デ・プランス」がすぐ目の前(当時は転車競技場)。当アパートと同時期に建設された「ローラン・ギャロス・スタジアム」もすぐ近くで、ブローニュの森やエッフェル塔など、パリを一望できる明るい住居です。
●見学:コルビュジエ住居内部は事前予約の上、見学可能です。
●アドレス:24, rue Nungesser et Coli 75016 Paris



 

東フランスの建築作品

第二次大戦時に特に被害の大きかった東フランス。崩壊した建物の再建依頼を受け、住宅建築以外の建築に挑戦しています。代表作ロンシャン礼拝堂はアクセスがとても悪いですが建築ファン必見の場所です。スイスとあわせた旅程が人気です。  

ロンシャンの礼拝堂 <フランシュ・コンテ地方> 1950~55年


ロンシャンの礼拝堂戦後再建した礼拝堂で、コルビュジエ後期の代表作
コルビュジエ60代半ばの頃の傑作で、スイスとの国境に程近いロンシャンの丘の上に建てられた礼拝堂です。正式名称はノートルダム・デュ・オー礼拝堂。元々巡礼の地であったこの土地には中世の時代より礼拝堂がありましたが、火災やナチス・ドイツの空爆により大きな破壊を受けてしまいました。戦後、再建の際にコルビュジエに設計が依頼され、これが彼の初めての宗教建築となりました。それまでの彼の作品とは全く異なる建築様式が特徴で、蟹の甲羅をイメージしたといわれる大きな屋根が特徴的。被災した旧礼拝堂の廃材を利用しています。コルビュジエの生まれ故郷ラ・ショー・ド・フォンはここから南に国境を越え約100kmです。
●見学:通年、一般公開されています。
●アドレス:Colline de Bourlémont 70250 Ronchamp
 

サン・ディエの工場 <ロレーヌ地方> 1946~51年


イメージ第二次世界大戦で破壊された織物工場を再建。唯一の工場作品
いくつもの都市計画を自主的に構想していたコルビュジエですが、戦後復興の際にひとつも採用されることはありませんでした。サン・ディエ市の復興計画も同様に却下されてしまいましたが、この都市計画を支持していたデュヴァル氏は、自身所有の織物工場が第二次世界大戦で破壊されたことにより、その再建をコルビュジエに依頼。モデュロールを駆使した作品で、それまでの2割少ない予算で完成させました。
工場は現在も稼動しており、特にフランス国内やアメリカ向けに高級婦人服用の織物生地を生産しています。
●見学:基本的に内部見学はしておらず、外観のみ見学可能です
●アドレス:1, avenue de Robache 88100 Saint-Dié
★市内のピエール=ノエル美術館には、実現されることのなかったコルビュジエのサン・ディエ小都市復興計画のスケッチや模型が展示されてます。



世界遺産ル・コルビュジエの建築作品



  

リヨン近郊の建築作品

コルビュジエ晩年の作品たちです。コルビュジエ建築の集大成!

フィルミニの文化の家 <サン・テティエンヌ郊外> 1954~2006年


フィルミニコルビュジエの没後41年後に完成した都市計画
コルビュジエの友人で、フランスの復興大臣だったこともあるフィルミニ市長ウジェーヌ・クロディウス・プティは、炭鉱の町としての暗いイメージからの脱却を賭け、「フィルミニ=ヴェール(Firminy-Vert)」 という新しい街区をつくることを構想し、コルビュジエに依頼しました。世界遺産登録された「文化の家」の他、ユニテ・ダビタシオン、競技場、サン・ピエール教会の4つの建築群からなる計画ですが、着工前の1965年にコルビュジエは亡くなってしまい、完成した姿を見ることはありませんでした。
この建築群の一番の見所はサン・ピエール教会です。財政難などのため20年もの間工事が中断していましたが、2000年代に入りコルビュジエの弟子ジョゼ・ウブルリーが設計実施を引き継ぎ、2006年にようやく竣工しました。自然光を利用した光の仕掛けが芸術的で、訪れる人を魅了してやまない作品です。
●見学:文化の家、競技場、サン・ピエール教会は通年一般公開されていますが、ユニテ・ダビタシオン内部はガイド付き見学のみ。
●アドレス:Route de Saint-Just Malmont 42700 Firminy
 
※写真は世界遺産登録された「文化の家」です

ラ・トゥーレットの修道院 <リヨン近郊> 1953~59年


ラ・トゥーレットの修道院光とリズムに満ちた、コルビュジエ建築の集大成
コルビュジエが60代後半の頃の作品で、リヨン郊外に建てられた修道院。ほぼ同時期のロンシャン礼拝堂と共に後期コルビュジエ作品の傑作と言われていますが、修道院は修道僧の祈りの場・生活の場・学びの場であるため、それまでのコルビュジエ建築の集大成的作品となっています。100の僧坊・図書室・研究室・会議室・食堂などから成るコの字型の南棟と、北側に位置するI字型の教会の構造は、コルビュジエが何度も訪れ参考にしたといわれる南仏トロネにあるシトー派のロマネスク修道院をモデルにしたと言われています。
建築と数学を学び、後に現代音楽の作曲家として名を挙げたヤニス・クセナキスがコルビュジェの弟子として設計に参加しており、彼のアイデアでモデュロールをリズムに昇華した”オンジュラトワール”と呼ばれるガラス窓仕切りは必見です。
●見学:内部見学はガイド付きツアーでのみ可能。修道院内に宿泊することも可能です。
●アドレス:69210 Eveux-sur-l'Arbresle
 



  

南フランスの作品

第二次大戦後の個性的な住宅建築たちです。超大型集合住宅と超小型住宅の対比をお楽しみください。 

ユニテ・ダビタシオン <マルセイユ> 1945~52年


ユニテ・ダビタシオン豪華客船から想を得た、人類最初の高層マンション
コルビュジエ60歳前後の作品で、マルセイユ郊外に建てられた18階建て337戸の超大型集合住宅。フランスでは戦後復興期に国営の中所得層者向けの公営住宅が数多く建てられましたが、マルセイユはその中でも最初の作品で、その後ナント近郊、フィルミニ等にも建てられました。
住戸だけでなく生活に必要な施設が含まれていることから、集合住宅を示す”アパルトマン”とは呼ばずに”ユニテ・ダビタシオン”と呼ばれていますが、これは彼自身が大西洋横断中に何度も利用した大型客船からアイデアを得たようです。中階層には食料品店・レストラン・郵便局などの入った商店フロアがあり、最上階には幼稚園、屋上には体育館・プール・小ステージまで設置されています。5原則とモデュロールを駆使しした作品です。
現代の高層住宅の元祖とも言える作品として、今ではコルビュジエのファンがこぞって暮らしていますが、建設当初は斬新過ぎて誹謗中傷も多かったようです。
●見学:商店フロアと屋上は誰でも入ることができます。内部のホテルに宿泊も可能です。また、住人の部屋を見学するツアーも行われています。
●アドレス:280, boulevard Michelet 13008 Marseille

カップ・マルタンの小屋 <ニース近郊> 1951~52年


カップ・マルタンの小屋妻イヴォンヌの誕生日祝いとして作った小屋で、終の棲家
60代半ばのコルビュジエが、ニース近郊の地中海を臨むロクブリュヌ=カップ=マルタンに建てた、8畳程しかないヴァカンス用の小さな隠れ家です。
最愛の妻イヴォンヌ(1957)、母マリー(1960)を次々と亡くしたコルビュジエは、1965年この地で海水浴中に心臓発作で亡くなりました。
コルビュジエと因縁の関係にあったアイルランド生まれのプロダクト・デザイナー、アイリーン・グレイのE1027ハウスと同じ敷地内に建てられた様々な曰く付きの作品です。
夫婦の墓は、この村の坂の上にある見晴らしの良い共同墓地にありますが、この墓自体もコルビュジエの作品であり、コルビュジエ巡礼の最終目的地に相応しい場所です。
●見学:事前予約の上、休暇小屋やE1027を訪れるガイド付き見学があります。
●アドレス:Sentier Le Corbusier 06190 Roquebrune-Cap-Martin


世界遺産ル・コルビュジエの建築作品



  

南西フランスの作品

ペサックの集合住宅<ボルドー近郊> 1924年


ペサックの集合住宅

4, rue Le Corbusier 33600 Pessac